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「津田道夫を偲ぶ会」
多岐にわたる活動 多彩な顔ぶれ 障害者の教育権を実現する会 石川愛子 去る10月31日、津田道夫さんが亡くなるまで住んでいた埼玉県久喜市の三高会館で、予想を越える65名もの人々が集まって「津田道夫を偲ぶ会」が行われた。 主催は、「津田道夫を偲ぶ会」実行委員会(石川愛子、進藤敬子)。障害者の教育権を実現する会、九条の会・久喜、績文堂、社会評論社、論創社、高文研、全国障害学生支援センターが後援団体として名を連ねている。 第Ⅰ部は、シンポジウム「津田道夫の仕事」。社会評論社の松田健二さんの司会で、まず、障害者の教育権を実現する会運営委員で出前教師の平林浩さんは、和光小学校で全盲の高橋しのぶさんを担任したことから津田道夫さんとの付き合いの始まったことや、『本能か意志か』(論創社)にまとめられている動物の本能のことなどについて、その間のやりとりを紹介された。 つづいて編集の仕事をされている山縣淳男(久坂文夫)さんは、かつて「現状分析研究会」を一緒にやられていた。津田さんは、マルクス主義の原理的再建を掲げて「現状分析研究会」を1957年に立ち上げ、『現状分析』という研究誌を発行されていた。山縣さんは、70年の運動昂揚期に、研究会をやめて運動実践への道を選ばれたが、別に反目していたわけではないと話された。 『季刊ピープルズ・プラン』編集長の白川真澄さんは、津田著『国家と革命の理論』(青木書店、増補版・論創社)について、国家が持つ暴力装置としての側面だけでなく、国家には共同幻想性があるという指摘に当時から注目されていたこと。立憲主義というのであれば、プロレタリア独裁に対する反省を込めて言わなければならないのでは。そのことを、津田さんと討論したかったと述べられた。 続いて、東京電機大学の石塚正英さんは、大井正さんを通じて知り合い、「ふぉーらむ90s」などでご一緒されたという。政治よりも文化の面から、沖縄独立論でなく、津田道夫の『ハワイー太平洋の自然と文化の交差点』(社会評論社)にみられる環太平洋ハワイ・沖縄論を引き継いでいきたいと宣言された。 最後に「実現する会」の宮永潔さんは、運動のなかで津田さんが提起された親(本来的には本人)の学校選択権のこと、権利と義務との違い、運動のなかで紡ぎだされた認識論、とりわけ気分論について自身の小学校での実践から、その有効性を説明された。 会場からは、遠く大阪から参加された『唯物論研究』編集長の田畑稔さんが、津田さんは、在野の思想家としての分厚さがあり、最先端でバトルをやられた人と評価された。ヘーゲルの精神哲学、法の哲学を実践的に読み込まれ、認識論から意志論へと、その成果は津田さんの著書の中に表現されていると。 津田さんの活動が、学問、思想、社会運動、教育運動と多岐にわたるにもかかわらず、それが根底のところで繋がっていることも浮き彫りにされたシンポジウムであった。 第Ⅱ部では一転、進藤敬子さんの司会よろしく、大いに飲み、かつ会食しつつの和やかな会となった。 「実現する会」の元代表顧問国分一太郎さんのご子息国分眞一さん、久喜の市議会議員を代表して猪股和雄さん、全盲の浅井一美さんを受け入れた中学校の教師で埼玉教組副委員長の倉持光好さん、障害児を普通学級へ全国連絡会の北村小夜さん、出版関係など多彩な方々が津田さんの仕事や印象を語ってくださった。 途中、在りし日の津田道夫さんの映像も投影され、最後に「この会が津田道夫の仕事を後に繋ぐ一助になれば幸いです」との実行委員会挨拶でこの会を閉じた。 津田道夫さんの付き合いが多面的で、多くの人々におよんでいたことを実感させられた会でもあった。 津田道夫追悼文集(60名以上執筆)は「実現する会」事務所で取り扱っています。1冊1000円(送料込み)。数に限りがありますので、お早めにお申し込みください。 『人権と教育』492号 掲載記事 《筆者の了解を得て転載させていただきました。》 障害者の教育権を実現する会へのリンク --------- 「津田道夫追悼文集」 目次 I 障害者の教育運動 -『人権と教育』の活動 権利感情は多くの人に受け継がれていく 宮永 潔(「実現する会」事務局総務) 津田さんの教えをたいせつに 佐久間敏行(『人権と教育』編集部) 追悼文よりデモ優先! サトウアトム(「人権と教育」編集部) 人権と民主主義、平和のために闘いつづけた 石川愛子(『人権と教育』編集部) ヒラセン学問の話をしようぜ 平林 浩(出前教師、科学教育研究) “学問をしろ”と言ってくれた人 市丸みさ子(「実現する会」運営委員) 偶然と必然 殿岡駿星(勝どき書房) 久喜の地域でいっしょに行動してきた 猪股和雄(久喜市議会議員) 諸行無常 仙人は逝ってしまった 柿沼信敬(「実現する会」会計監査) 津田さんと和子さんと 柿沼由美(久喜市在住・主婦) 権利は与えられるものでなく、かちとるもの 田村一夫(久喜市在住) 浅見先生との出会いあればこそ 荒井芳江(久喜市在住) 津田道夫さんと蕎麦の花 竹澤節子(元小学校教員) オールドひろし先生 外岡章子(会社員) 津田道夫さん、楽しい時間をありがとうございました 吉川 守(「実現する会」運言委員)吉川眞理子(常滑市在住) 学校選択、職業選択権で 堀利和 (元視覚障害者労働問題協議会代表・現NPO法人共同連代表) 年寄りが一人亡くなるのは、地域の図書隻が一つなくなるに等しい 遠藤行博(兵庫県小学校教員) 津田さんとロシアに行った話 深江洋司(埼玉県蓮田市) 真摯に歴史と向き合った人 深江瑞枝(元蓮田市議会議員・「実現する会」運営委員) 夏季合宿でお会いして 殿岡栄子(主婦・町田市) 追悼句 田村晶子(久喜市障害児をもつ親の会) Ⅱ 九条の会・久喜 「ごめんね、津田さん……」 進藤敬子(九条の会・久喜) あなたの教えは、心のなかに聞こえてきます 渋谷晃次(九粂の会・久喜事務局長) 「津田道夫の世界」との出会い 木村奉憲(九条の会・久喜世話人・事務局) 津田先生との思い出 栗原規昭(九条の会・久喜) 「先生、お宝にします」 関口一夫(九条の会・久喜) 天国の津田先生へ 桜井佳寿子(九条の会・久喜) 子どもたちを再び戦場に送らぬために 渡辺昌代(久喜市議会議員) 最後の弟子より 川辺美信(久喜市議会議員) 津田先生とのエピソード 白石八重子(久喜市在住) Ⅲ 出版関係 それは『ゲントロ』から始まった 松田健二(社会評論社) 津田さんの「愛国心」論 梅田正己(元三省重・高文研) 編集者として初めての本 林 順治(元三一書房) 学問的厳密さと古武士のごとき人間味 渡辺和子(現代思潮社編集長) 現代マルクス・レーニン主義研究の継続と進化へ 仲佐秀雄(通信放送資料室ユマニスム文庫) 津田道夫さんとの「勉強」 寺本佳正(こぶし書房編集部) 津田道夫さんときらかずこさんとの思い出 冨田一彦(新社会党機関紙「週間新社会」編集部) 激しさと、アッケラカンと 厳 浩(歌人・現代ジャーナリズム出版界) Ⅳ 文化活動・社会運動 津田さん、ありがとうございました 国分真一(団体職員) そもなれ初めは 石塚正英(東京電機大学) 津田道夫さん追悼 田畑 稔(季報『唯物論研究』編集長) 南京虐殺記念遺跡の見学 山内小夜子(京都府長岡市、真宗大谷派僧侶) 埼玉で出会った 比嘉辰夫(新日本文学) 中野重治の聞き取りに伺って 竹内栄美子夭学教員) 津田さんが割いてくれた珠玉の時間 大橋一雄(軍事史研究) 津田道夫さんはサイショク主義者?だった 乙部武志(綴方理論研究会) 無邪気の人 志真斗美恵(大学非常勤講師) 『現トロ』で出会い、フォーラム90’sでご一緒に 白川真澄(「季刊ピープルズープラン研究」編集長) 津田道夫さんとの出会い 池田祥子(元大学教員) 津田道夫さんとの思い出 鈴木 正(思想史家) ひらマルクス主義者 志真秀弘(再考再論の会・績文堂出版) 卓越したナショナリズム批判 小林 隆(再考再論の会・績文堂出版) 無 題 菅原 主(会社経営) 出会ったころ 岸 宣夫(麦秋の会) 津田道夫さんを偲んで 大藪龍介(元福岡教育大教授) V 現状分析研究会 戦後70年の運動の中で 山懸淳男〔久坂文夫〕(現状分析) 『国家と革命の理論』から『国家と意志』へ 原嶋正司(現状分析・元青木書店・績文堂出版) 現状分析のころ 石井秀樹(現状分析・績文堂出版) 人間として存在せしめよ 竹内克美(現状分析) 意志論:ヘーゲル『法の哲学』読解の射程 中崎章夫(現状分析) Ⅵ 兄弟等 兄と和子さんの思い出 遠藤玲子(妹、静岡市) 〈バカノアンドー〉のこと 安藤重夫(義妹の夫、さいたま市) ほんとうは〈淋しい人〉だった 安藤延子(義妹、さいたま市) 天衣の縫い目 加藤民子(義妹、山形県天童市) 津田道夫のプロフィール 津田道夫主要著書一覧 --------- 津田道夫essayの編集者・猪股和雄が書いた文章だけ、ここに抜き出しておきます。 久喜の地域でいっしょに行動してきた 猪股和雄(久喜市議会議員) 津田さんと初めてお会いしてから30数年ほどになるだろうか。 学生の頃から『国家と革命の理論』の著者・津田道夫の名前は知っていたが、久喜に住んでいるとは思わなかった。 私が議員になってしばらくして、柿沼由美さんから障害児の親としての思いや“統合教育”のお話を聞かせていただいて、実現する会の運動を知った。 その後に、あの書斎に上がり込んでお話をする機会を得たのだったが、最初は“偉そうにしゃべる人”というイメージだった。 全盲児童・荒井順平君の地元小学校への入学を機に、私自身が点字を勉強して教科書や教材作りにも携わり、学校や担任教師との話し合いも重ねていって、学校でのそうした取り組みの報告や相談などでたびたび津田さん宅を訪れることになった。 津田さんは私の報告を興味深そうに聞きながら、その時々の状況に応じたアドバイスもいただいた。 それは障害児統合教育(当時はまだインクルージョンとは呼ばなかった)の教材保障を求める市民運動へと発展していったのだが、津田さんの支援があってこそだったと思う。 その後、県立高校点字受験を実現するとりくみ、さらに久喜で2人目の盲児統合教育の実現にもつながっていった。 17年くらい前から、私が『人権と教育』の点訳を引き受けることになって、その打ち合わせを兼ねて毎月定期的に津田宅を訪問し、久喜市政や議会のお話もするようになった。 一度、駅前の点字ブロック上に放置された自転車をどかしていたら、たまたま通りかかって手伝ってくれたこともあった。 毎回の市議選の時には、私のパンフレットに『猪股君を推す』という文章を寄せてくれて、選挙中には街頭に立って応援演説をしていただいたりもした。 久喜での有事立法反対運動、2回の合併反対運動、9条の会など、地域の住民運動、市民運動にも積極的に関わってこられた。 人が集まってきて、そのまん中にいて、人に自分の話を聞かせるのが好きな人だった。 (聞いていないと見ると怒鳴り出すのには閉口したけれども)。 津田さんは、以前は肩書きを“著述業”としていたのが、最近は“評論家”と変わってきた。 私が「市議会で、自分の立場を明確にせずに、第三者的に他人の批評ばっかりしてる“評論家”みたいな議員もいる。どうも、評論家っていうのはイメージがよくないんじゃないか」と言ってみたことがある。 津田さんは「そういうのは評論家じゃなくて日和見主義者と言うんだ」と答えた。 「しっかりした思想と勉強してない人には、的確な評論もできない」とも付け加えられた。
by tomoni_kk
| 2015-12-05 16:22
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