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米軍普天間基地の即時無条件撤去を!
―― 沖縄、戦後は終わっていない 十年程まえ、友人に案内され、第二次大戦末期、沖縄本島での最大激戦地とされた嘉数(かかじ)の丘から米軍普天間基地(宜野湾市)を眺めたことがある。 いまは嘉数高台公園となっているころからだ。 すると、同市のほぼ全体が眺望され、そのど真ん中に同基地はあった。 いい換えれば、普天間基地を中心にして、ドーナツ状に街区が認められた。 クルマを宜野湾市街にまわしてもらうと、文字通りフェンス一つで隔てられただけで、基地に密着するような形で民家や学校が犇めいているのだ。 余所者の私がそれを見ただけでゾッとさせられたことである。 「世界一危険な基地」とアメリカ筋も認めていた基地だが、二〇〇四年八月十三日には、米海兵隊のCH53D大型ヘリコプターが、隣接する沖縄国際大学の構内に墜落・炎上、校舎にも大きな被害を与えるという事件が惹起させられた。 幸い夏休み中のこととて学生がいなかったので、人が死ぬということはなかったものの、この墜落事故が二、三秒ズレていたら、それこそどんな惨事になっていたか測り知れない。 この事故は偶然のものではなく、偶然を通して必然が貫いたものと見ない訳にはいかないのだ。だが問題は、その先にあった。 事故直後、米海兵隊は大学のフェンスを乗り越え、現場周辺を制圧、大学関係者はもとより警察や消防の立ち入りも禁じてしまった。 そして現場検証を求める県警には回答も示さぬまま、機体残骸の撤去作業をすすめてしまったのである。 県警職員は遠巻きにビデオ撮影をするのみ、捜査一課の某幹部は「これが地位協定だ」と吐き捨てるように言ったという。 別の県警幹部は「屈辱ですよ。こうした非常識がアメリカの常識なのかと言いたい」とも。 同年八月十六日、当時の伊波洋一宜野湾市長が、謝罪のために市役所を訪れた在日米海兵隊の副司令官、ジェームス・フロック(准将)に「飛行再開は許されない。米軍は県民からさらに強い反発を受けるだろう」と抗議したのに対して、彼は逆に飛行・訓練の再開を告げた。 謝罪の場は開き直りの場に変わったのである。 沖縄は、まさに軍事占領下にあり、それを何ともできない日本は、対米軍事従属国に他ならぬことが、はしなくも暴露された(以上、月刊『人権と教育』369号、04年9月20日、参照)。 本土政府の沖縄政策 ―― 琉球処分から戦後へ 本土の日本政府が、沖縄をその帝国主義的政策の人身御供としてきた歴史は、古く一八七八年(明治12年)の琉球処分に遡る。 日本政府にとって沖縄は対アジア関係での軍事的要衝と位置づけられ、以後、沖縄の「本土化」がはかられ、沖縄固有の文化は破壊されてきた。 しかも太平洋戦争末期には、本土決戦のための捨石とされ、住民の四人に一人が死ぬという凄惨な状況が出来(しゅったい)させられた。 戦後は、アメリカの極東戦略の拠点として米日の帝国主義的共同の拠点とされてきた。 その端的な現われは、あの狭い沖縄に在日米軍の74%が集中しているのだ。 そこから米軍兵士による殺人、強姦にはおびただしいものが数えられる。 それを象徴するのが、一九九五年に惹起させられた三人の米兵による少学五年の少女にたいする暴行・致傷事件で、これらの継続が沖縄人民の米日帝国主義の共同に対する怒りを徐々に蓄積していったのである。 そこで話を普天間基地に戻す。 激戦の伝えられた宜野湾市域は、当時、宜野湾村といわれ、サトウキビ栽培を中心とした農村だった。 ところが戦火に追い立てられた人びとは当然、家と村を離れたのであったが、日本の敗戦により収容所から帰村した村人が見たのは、自分らの土地が整地されて、もう米軍飛行場ができていたことである。 そこにもってきて村は市街地化され、今日の宜野湾市=普天間飛行場のような状態が現出させられたという次第である。 そこの人びとが、日夜生命の危険におののいてきたのは、前記ヘリ墜落事件に見るとおり申すまでもない。 そこで、日米政府は普天間基地を名護市辺野古沿岸部を埋めたてて、ここに移すことを画策していた。 しかし、これは名護市住民、否、宜野湾市の住民もふくむ全沖縄住民の反対で頓挫を余儀なくされた。 問題は、(1)沖縄に駐留する海兵隊八千をどうするか、(2)普天間基地の代替案をどうするか、にしぼられてきた。 そして(1)についていえば、米軍がいくらか妥協して、海兵隊4700を、グアムに移転させ(もっとも移転にかかわる費用は日本が米国以上に負担するという)、残りをオーストラリアやフィリピンなどにローテーション派遣するという案がでてきた。 普天間基地の固定化を許すな このことじたいは、沖縄人民をはじめとする日本人民のたたかいの成果として限定的な評価はできる。 ただ米軍は、グアムに極東戦略全体の司令部的機能を負わせようとしているかに認められる点、手離しでの評価は慎しみたい。 問題は第(2)点、普天間飛行場をどこにもっていくかにある。 日本政府も、辺野古代替案は、どうやら当面無理と判断したようだ。 とすれば、海兵隊の多くがいなくなるのだから、普天間には当面ふれずにおこうという発想が出てこないか。 どうもそんな臭いがしてならない。 仲井眞沖縄県知事は、普天間基地の本土移転を主張している。 米日の帝国主義的共同の犠牲を強いられてきた沖縄の立場からすれば、その心情をしも理解できぬとはいわぬ。 しかし、日本人民の立場にたつ私たちの基本的要求は、普天間基地の即時無条件撤去以外にない。 だが、それは日米安保条約に抵触するといわれるかもしれない。 ならば日米安保の廃棄通告を一方的にすればよいのだ。 その法的可能性については日米安保そのもののなかに規定されているのだ。 いわく、その第十条には、こうある。 「……この条約が十年間効力を存続した後は、いずれかの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する」。 この通りにしたからといって、アメリカが怒って日本を攻めてくるなんてことは考えられない。 安保に替えて日米友好親善条約を結べばいいのである。 そう問題を提起する以外、普天間解決の道は無いように思われる。 かくすることは、日本国憲法前文が、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とした平和的生存権を具体化する由縁ともなり、さらにそれは、これと不可分の不戦・非武装・戦争放棄の憲法第九条の具体的実践でもなければならぬ。 ふり返ってみれば、一九五五年の経済白書は〝戦後は終わった〟というキャッチフレーズで登場させられた。 本当に戦後は終ったか。 太平洋戦争とてその終結、アメリカによる軍事占領という現実は、サンフランシスコ平和条約にもかかわらず今日は、揺曳しているのだ。 まして沖縄においておや。 この現実が変わらぬ限り、私には戦後は終わったなどとは考えられない。 もう一度いう。 沖縄人民を先頭とする日本人民は、普天間基地の無条件・即時返還を繰り返し要求していかねばならないのだ。 (2012・2・22)津田 道夫 掲載誌 「月刊・人権と教育」455号 2012年3月20日発刊 -------------------------------------- 月刊 『人権と教育』 455号 目次 ・米軍普天間飛行場の即時無条件撤去を! --沖縄、戦後は終わっていない 津田道夫 ・就学問題ルポ 車いすのゆりなさん、学区小就学が確定! --校長、校内生活での配慮を約束(長野県茅野市) 山田英造 ・高齢者施設レポート29 -- わがままがぶつかる -- 耳の遠くなったお年寄りとのコミュニケーションは疲れる 佐藤与志子 ・会員・読者を訪ねて 怖くても立ち止まらずに -- 近所の子どもたちとともに育った息子 大江弘子 ・自然を観る 75 -- 地は動き続ける 8 平林浩 ・真っ暗闇の中の対話 その2 -- 対話(ダイアログ)を忘れるほどの緊張も -- 他のアテンドの対話する光景を見て 大林章子 ・虫めがね -- 自己責任を果たす 最首 悟 ・みちのく通信 --元「義勇軍の少年」たち 加藤民子 ・声、こえ、声 ・自治体漂流 -- 原発自治体消滅(9) -- 相馬と将門と放射能 布施哲也 ・今も継続する「原発震災」8 -- 4号機が壊れたらすぐ逃げろ! サトウアトム ・父として母として -- カルタ大会に出られず悔しがる積極性も -- こるまい巣の春樹くん、4月から5年生へ 新井史恵 ・学校場からのレポート -- いまだ定着しないインクルージョン 遠藤行博 ・障害の程度差を超えて楽しめる授業を 武井真人 ・編集後記 -------------------------------------
2011年を送る! ―― その言語現象を斬る
津田 道夫 戦後66年のなかでも特筆さるべき2011年は去った。 しかし、それは時間の問題であって、11年問題は決して行き去りはしない。 そのことを象徴するのは、NHKニュースの後の天気予報のなかで、かならず各地の放射線量として○○ミリシーベルトという単位が地図入りで報じられていることである。 人びとはこれを日常のこととして受けとめはじめている。 しかし、これは異常事態なのだ。異常事態への狎(な)れは許されるものではない。 まことに3・11の東北大震災と東電第一原発の大事故は人災として継続させられているのだ。 前者については死者が二万を超え、復興が進まぬ故に被災者はこの寒さの中に放り出されたまま、老人、障害者といった社会的弱者にとっては死をも招きかねない事態が進行している。 後者については、周辺住民の避難による家族解体に併せて、放射性物質のホットスポットは全国に及びかねない状況である。 日本国土はまさに原発汚染列島とも評するほかない。 そこに見えてきたのが、日本の社会・国家が独占資本主義の社会・国家であるのは紛れもないということだ。 そのことを私は、障害者の教育権を実現する会発行の月刊『人権と教育』447号(11・5・20)で論証しておいた。 関心がおありの皆さんの御参看をお願いしたい。 そこでここでは大震災・原発大事故以後、日本社会の階級対立を押しかくすため登場させられてきた一連の言葉や言説の群れを斬ることで、対立の本質部分にふれて行きたい。 まず、「国難」ということ 最近では「がんばろう!日本」がいくらか影をひそめ、「国難」「未曾有の国難(これを麻生太郎のひそみにならって「みぞゆうの…」などと読まないでいただきたい)」ということがジャーナリズムのうえで頻繁にいわれはじめた。 国難とは、かつて元寇になぞらえ、小学唱歌の中で盛んに歌われた、 国難ここにみる 弘安四年夏の頃 永井 健子(ながいけんし) といった具合で、それはあった。 しかし、今回は外冦ないし海冦としての「国難」などというものではない。 日本のなかのほんの一握りの連中――大資本家とその連合体、保守党政府、通産官僚、御用学者、それに右派ジャーナリズム――が、大多数の日本人大衆に恐ろしい災厄をもたらした内部人災以外にありはしない。 一部良心的な学者は東南海地震の不可避性とそれに基づく中部電力浜岡原発の危険について「原発震災」(石橋克彦)という用語を用い、この地震列島の上にある原発事故の危険性について警鐘を打ち鳴らしていたが、福島第一原発の大事故は、それが現実化したものと見られる。 私は、「国難」などという用語にかえて内部人災としての「原発大震災」という呼称を提案する。 その最大最悪の責任者である東電の以下の発言には洵に驚くべきものがある。 放射生物質の所有者は誰? 福島県二本松市のゴルフ場の経営者が、東電に汚染除去を求める仮処分を提起したさい、当の東電当局者は、こう言い放った。 《原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。 従って東電は除染に責任をもたない。 もともと無主物と考えるのが実態に即している。 所有権を観念しうるとしても、既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合(ふごう)しているはずである。 債務者(東電)が所有しているわけではない。》 こう言い放つ東電に対して浪江町から避難して来ている東京北区の一主婦は、つぎのように、その内在的本質にふれていた。 《除染は、放射性物質をばらまいた東電がすべてやるべきだと、私は考えています。 東電のこのような社会の常識から外れた考え方が、今回の事故を引き起こした一因になっているのではないでしょうか。》(朝日声欄、11年12月1日、門馬昌子、傍点は引用者) 私として批評の言葉はない。 批評する気力が出ないのだ。 そのかわり、朝日川柳(11・12・9)から次の一句を引いておく。 ああそれは無主物ですと犬のフン 東京都の尾根沢利男という人の作である。 沖縄は犯される立場か 昨11年年末に至り、右原発震災といっしょに大きくクローズアップされてきたのが沖縄問題である。 世界一危険な基地といわれる普天間基地(宜野湾市)を、名護市辺野古に移設しようとする米日帝国主義勢力は、その環境影響評価書(アセスメント文書)を、年内にも沖縄(仲井眞知事)に押しつけようとねらってきたが、12月27日、これに反対する沖縄人民にいったんは配送車が追い返され(12月27日)、翌日早朝4時に人びとの裏をかいて、これが県庁に運び込まれた。沖縄人民の怒りは極点に達している。 しかも、それに先立つ11月28日夜、田中聡沖縄防衛局長(当時)が、報道各社との非公式の懇談の場で、評価書提出時期について問われ、その時期を明言できない理由として「これから犯す前に犯しますよといいますか」と言い放ったというのだ。 田中聡が即更迭されたのはいうまでもない。 この男女関係になぞらえた沖縄防衛局長の発言は、割と自由な懇談会の席での軽口冗談発言だったとも聞く。 しかし、軽口発言だったからこそ、本土政権・防衛庁にとって文字通り常識になっている対沖縄の思惑が、ふと(不図)言語表現となって表出されたというのが実相であろう。 考えてもいただきたい。 日米安保体制のもと、在日米軍基地の74パーセントが、あの狭い島に集中しているのだ。 この66年、米兵による沖縄での一般人殺害、性的暴行事件には、それこそ枚挙にいとまないものがある。 しかも、そうした犯罪についての裁判権は日本側にないのだ。 1995年に起った少女暴行事件には、その実相とともに忘れがたいものがある。 こうした現状を放置したまま、基地の辺野古移設に固執するのが、現政権=防衛・外務両省なのだ。 その内部には、沖縄・沖縄人(おきなわびと)ないがしろ意識、蔑視意識がたゆたっていて、それがヒョンな拍子に,田中聡なる人物の口から漏れだしたというのが現実であるにちがいない。 この田中発言にたいして、評価書の提出じたいは容認していた仲井眞知事も、「コメントする気も起らないですな」といい、「口が汚れるから」と繰り返したという。 ここに沖縄の最大公約数もあった。 それは田中の上司、一川防衛相が、那覇にオワビにかけつけたくらいで収まるものではない。 そこに黎明の評価書搬入問題がきたのである。沖縄の怒りが極点に達したというのは、まさにそういったところにある。 しかも、これは軍事的従属国の状況下にある日本人大衆の問題でもある。 否、問題とするべきなのだ。 日本人大衆は、いまこそ沖縄人民に呼応して、その怒りを共有するべきであろう。 よく3・11以後、いまや「戦後」ではなく、「災後」といわるべきだという主張を目にする。 私は、この見解には反対なのだ。 そのことは、66年間、沖縄が経験してきた実相を見れば明かではないか。 いまこそ、反原発とクリーン・エネルギーへの転換、および、対米軍事従属の日米行政協定からさらには安保体制の廃絶へと大運動を起すべきときである。 それこそが日本人民の国民的課題でなければならない。 1月1日 [附記] 元日午前4時、郵便受から朝日朝刊をとってきた。 そこには一面トップに、内閣府原子力安全員会(国や電力事業者を指導する権限をもつ)の安全委員と非常勤の審査委員だった24人が10年度までの5年間に、原子力関連事業者・業界団体などから、8500万円の銭金をうけとっていた事実が暴露されていた。 その中にはデタラメ・ハルキの異名をもつ班目委員長も含まれる。 業界と政府=官僚の癒着が、銭金問題でも裏づけられたことになるので、ここに特筆しておく。 1月1日午前5時10分。 掲載誌 「月刊・人権と教育」454号 2012年2月20日発刊 -------------------------------------- 月刊 『人権と教育』 454号 目次 ・2001年を送る! --その言語現象を斬る 津田道夫 ・就学問題ルポ 「就学義務猶予」は権利代行者たる親の権利! --ダウン症の高橋依吹くんの場合(静岡県三島市) 山田英造 ・冤罪追跡レポート 「三鷹事件」の再審請求始まる 竹澤節子 ・自治体漂流 -- 原発自治体消滅 その8 村税の今とむかし 布施哲也 ・虫めがね -- 「マイクロシーベルト」に物申す 銀林 浩 ・高齢者施設レポート28 -- 拒否のすさまじい叫び -- 力まかせの介護の行き過ぎも 佐藤与志子 ・状況批判 「思想・良心の自由」の半分勝利! -- 君が代不起立訴訟、最高裁「不起立は積極的錦を妨害するものではない」 山田英造 ・真っ暗闇の中の対話 その1 -- 真っ暗闇の案内人 --音声言語がコミュニケーションの真ん中に 大林章子 ・特別支援学級の窓から見えてくる よしだきぬこ ・父として母として -- 大きな成長を感じた1年生3学期 -- 車いすのわが子に学校側も理解を見せる 赤沼智賀 ・投稿エッセイ -- 権利以前 --いのちと人権をめぐって 鈴木 正 ・人権と教育研究会ルポ --雑誌「人権と教育」54号の検討 石川愛子 ・障害者の教育権を実現する会40周年アピール -- 分離こそが差別だ 親(本来的には本人)の学校選択権を ・今も継続する「原発震災」7 -- 恥じぬ無責任主義 サトウアトム ・編集後記 -------------------------------------
デマゴーグ集団、橋下「維新の会」の圧勝
―― それは全日本の問題だ 津田 道夫 それはハシズムなどという駄洒落を許すものではない。 文字通りのファシズムに他ならない。 それは一大阪府・大阪市の問題にとどまるものではない。 全日本の問題である。 去る11月27日、大阪府知事・大阪市長の同日選挙が行われ、府民・市民は、橋下「維新の会」の圧勝を許した。 市長選については、平松が民主・自民の推薦を受け、共産党が自党候補をおろすまでしたのに、橋下は圧勝した。 反橋下の統一戦線は完敗したというほかない。 怪しげな「大阪都」構想をふくめて、恐慌下に呻吟する庶民は、橋下一派に一抹の救いをもとめたといえる。 かつて経済高度成長期、マイホーム主義と企業意識が人びとをとらえ、その相互補完関係がそのままナショナルな価値へと直結していたころ、それを与件とした保守安定支配(自民党一党独裁)も可能であったが、90年代以降、政治も政策も全く人びとの目に色あせたものとして見えるところとなっていた。 加えて人々は人民としては解体され、アノミーな(価値喪失的な)大衆市民社会的な雑集団に 解体されてきていた。 ここに保守支配の危機も認められたのである。 この保守支配の危機を、それに対応する雑階級的庶民たちとの間隙をつく形で橋下「維新の会」は、一連のデマゴギーをともないつつ、その政治的進出を果たしたのである。 デマゴギーに染めあげられたその言動は、まさにファシズムとしかいいようがない。 1933年1月から5月(全権委任法可決)にかけてのドイツ・ナチズム独裁成立の過程をならうように、橋下「維新の会」の勝利をうけて、保守諸党は、これにすり寄るかの姿勢をみせているのが現状である。 「人権と教育」、その民主的な実現を旨とするわれわれとして、わけても注目せざるをえないのは、その「大阪府教育基本条例」の構想である。 同日選挙に先だつ2011年11月19日、朝日新聞・朝刊は、該条例案の作成者である坂井良和・大阪市議へのインタビュー記事を載せていたが、そのなかでの次のような発言が私の注目をひいた。 アトランダムに引用させていただく。 「学区を撤廃し、学校選択制を導入し、学力テストの結果も学校別に公表する。そうすれば親と子が情報をもとに学校を選べる。自分で選ぶのだから結果責任も自分でとる。文句ばかり言っていられなくなる」。 「私は格差を生んでよいと思っている。税制や社会保障など、格差是正の制度は別にある。まずは格差を受け入れてでも、秀でた者を育てる必要がある」。 坂井は、これを大真面目で言っているらしいのが空恐ろしい。 これは格差を前提としたうえでのエリート主義にほかならない。 これで障害児や社会的弱者は、どうなるか。 想い半ばに過ぎるものがある。 2011・12・6 掲載誌 「月刊・人権と教育」453号 2012年1月20日発刊 -------------------------------------- 月刊 『人権と教育』 453号 目次 ・就学問題ルポ 友だちといっしょに地域校へ通わせたい -- 車いすの小池優季奈さんの場合(長野県茅野市) 山田英造 「障害ある娘の学区小就学に関する要望書」 ・虫めがね -- 永喜一家の総出の仕事 石田甚太郎 ・高齢者施設レポート27 --よねさんの思いあふれて飛び出した数え歌 -- この歌で大笑い大笑い、その陰の深刻さを他所に 佐藤与志子 ・学校から --生活習慣の自立に向けて寄り添う 吉田絹子 ・自然を観る・74 -- 地は動き続ける・7 平林 浩 ・みちのく通信 -- 飯舘・数字が伝えるもの 加藤民子 ・声、こえ、コエ ・自治体漂流 -- 原発自治体消滅 その7 晴明の尊厳を捨てた国 布施哲也 ・学校現場からのレポート -- 人権意識の高揚と教職員のチームワークが鍵 遠藤行博 ・父として母として -- まだ25歳、傷つきやすく誇り高いわが娘 川端まり子 ・本の紹介 原発被災者に一刻も早く、届けたい本 石川愛子 --広瀬隆、保田行雄、明石昇二朗 『福島原発事故の「犯罪」を裁く -- 東京電力&役人&御用学者の刑事告発と賠償金請求の仕方』 ・発言あり -- デマゴーグ集団、橋下「維新の会」の圧勝 それは全日本の問題だ 津田道夫 ・編集後記 -------------------------------------
いつ、どう要求していったらいいか
続・親(本来的には本人)の学校選択権について (ジリリリリ・・・電話のコールサイン) A もしもし、やあすまんすまん。 B 何だいこんな真夜中に。 A だからすまんといっているんだよ。 B いや、ボクにとっちゃあ午前1時2時は宵の口だから、まあいいよ。 それよか、まえキミが言って来た知的障害の女の子の件、マユミちゃんといったか、その子の学区小就学の件、市の教育委員会(教育局)は色よい返事をしたのかね。 A それなんだよ、マユミちゃんのお母さんは、二、三度役所に足を運んだんだがさ、ぬらりくらりで、まだ返事がはっきりしてないんだ。 一度はオレともう一人の支援者も一緒したけどね。 こっちが、近頃は知的障害児の普通小就学も、それほど珍しくないようですねっていったら、そう、「認定就学者」というのがあって、その枠に入れば勿論学区小就学もありえます、てなことを言ってね、マユミちゃんの場合は「認定就学者」と認められていないんです、なんていうんだな。 何だい、 その「認定就学者」というのは? けったいな「認定就学者」 B ああそれね、2002年4月に学校教育法施行令の一部「改正」政令が出されて、その直後、「障害のある児童・生徒の就学について」という文科省初等中等教育局長の「通知」なるものが出された。 そのなかで「認定就学者」なんてことが言われているんだ。 場合によっちゃあ、「認定就学委員会」なんてものも開かれているようだよ。 A それじゃ何か、認定就学者に「認定」してもらう方向で話をもって行けばいいわけか。 B キミ冗談じゃないよ。 まず第一に、文科省局長通知なんてものは法律とはちがってだね、国民一人ひとりを掣肘するものなんかじゃないんだ。 それは行政側が就学事務をすすめるに際してのマニュアルみたいなもんで、各都道府県教育委員会、都道府県知事、それから地方自治体の関係者にあてられたものでしかない。 これが第一だね。 そして、そこで「認定就学者」なんて、けったいなものを決めるなんて、学齢期にある障害児の間に、認定就学者かそうでないかてなことで端的に差別をもちこむことなんだよ、そうだろう、これが第二に確認されなきゃならない。 勉強ができるかできないか、身辺自立ができるかできないかで分けるなんて、それこそ差別じゃないか。 学区小就学か、特別支援学校就学か、を選択するのは、権利主体であるマユミさん本人で、保護者はその権利行使のあり方を代行する責任がある。 そこから、この前もいったように「親(本来的には本人)の学校選択権」という法理解釈も打ち出されてきた訳だ。 だから「認定就学者」として認めさせるなんて発想は出て来ようもないじゃないか。 キミがそんな考えだったら、それこそ教育のうえでの障害者差別に乗っかったことにもなりかねないぜ。 それと、これはマユミさんの問題とは直接は関係ないけれど、02年通知では「就学義務の猶予又は免除について」というところで、こういっている。 「治療又は生命・健康の維持のために療養に専念することを必要とし、教育を受けることが困難又は不可能な者については、保護者の願い出により、就学義務の猶予又は免除の措置を慎重に行うこと」。 つまり、問題はだね、「教育を受けることが(中略)不可能なもの」といって、先験的に教育不可能児がいるとされているわけだよ。こんなのってあるか、キミ。 A そうだな。 「認定就学者」なんてオレも変な話だと思いはしたんだがね。 B そうだよ。 あくまでマユミさん本人の公立地域校に就学する権利を前面におしたてて就学をかちとるべきなんだよ。 ところでキミ、そのお母さん、ないし御両親名義で、学区小就学にかんする要望書は、もう提出してるんだろうね。 A 就学は来年4月だから、まだいいと思ってね。 B まだいいと高(たか)を括っていたんだな。 遅いよ。 まあ、ボクのいうことを聞いてくれ。 地域校就学の要望書は11月いっぱいに A たかを括ってもいない。お母さんと相談してオレも加勢して要望書の案文みたいなものは準備しつつあるよ。こんな具合だ。 “長女マユミは、明年4月には学齢に達し、私ども夫妻にはマユミを、学区小ないし、当該県立の特別支援学校に就学させる義務が生ずる訳です。 私どもは別記の理由により、マユミを特別支援学校ではなく学区の小学校に就学させることで、親の就学させる義務を果たす所存です。 貴殿の就学事務処理の便宜を考え、あらかじめ文書にて意のあるところを表明させていただきます。” こんな具合でね。 それに「記」としてマユミちゃんの生育暦、保育園での様子、友だち関係、その他をかいて、地域の子どもたちといっしょに学区小に通わせる旨を説明した文書を用意してるんだ。 B それは結構。 キミ、お母さんと相談して今夜徹夜してでも明日中にその文書(要望書)を、発送するべきだ。 内容証明郵便にして市教育委員会教育長宛にするんだぜ。 勿論御両親名義でだ。 何なら“本文書作成にあたっては私どももその会員である障害者の教育権を実現する会事務局にも相談したことを申し添えます”といった付記を書き込んでおくといい。 A キミも気がはやいな。もっとも昔から短気だったけどな。 B ボクは短気でもタヌキでもどうでもいい。ただね、今夜徹夜してでもというのは本気でいっているんだぜ。 そのゆえんについて説明するから聞いてくれるか。 A ああ、ぜひたのむ。 学齢簿の謄本は 親の承諾なくして県に送るな B なんか大学の講義みたくなっちゃうけど、まあ聞いてくれ。 事柄を単純化して端的に話させてもらう。 地域によっては、就学指導委員会(場合によっては就学相談室なんていわれる)が、6月ころから就学相談をやりはじめるけど、問題は10月以降12月までが勝負どきだ。 というのは、市町村教育委員会(教育局)は、まず、 10月いっぱいに、明年4月就学予定の子どもたち――障害児も健常児もふくめて――の学齢簿を作成する。 そして、 11月には就学時健康診断がやられる。 これは学区校を会場とする場合も、市町村教委が主体なんだ。そして、妙な検査もやって障害児をはじきだすんだね。 それから必要と認められる子ども(障害児)については、就学指導委員会にかけられる。(もっとも10月末くらいに就学時健診がやられる場合もあるがね。) そして、 12月中に、特別支援学校適当と判断された子どもの学齢簿の謄本、ひかえだね、それが都道府県の教委宛おくられる。それから、 翌年1月に、地域校就学予定者については、市町村教委から就学通知が来、特別支援学校就学予定の障害児については、都道府県から就学通知が来る仕組になっている。(これは厳密にいえば親の就学させる義務を督促する通知というがね)。 だいたい以上だ。わかったら、キミちょっと復唱してみてくれないか。 A (だいたい復唱する)。 B そうだ、それでいい。 月刊『人権と教育』の309号(99年9月)にもそれが表示してある。 あッそうだ。それよか実現する会発行の『マニュアル・障害児の学校選択』(社会評論社)にも、たしかあったと思う。 A そうだったな。 B うん、そこでだ。 11月が勝負どきだってことが判っただろう。 つまり、就学時健診で障害児を振り分ける秋(とき)だからだ。 ところでマユミさんのお母さんは就学時健診に連れていったのかい。 というのは就学時健診なんてこれまた義務的ではないから聞いているんだがね。 A つれて行ったそうだ。 だけどね、障害児ふりわけのための妙な知能検査まがいのことは拒否したらしいよ。 B そいつは大いに結構だ。 右のようなわけだから、ぜひ11月いっぱいに要望書ないしは趣意書を出すべきだといったんだよ。 もっとも、そのお母さんの場合、特別支援行きを拒否してるわけだから、教委のほうも、何かと説得しようとしているだろうしするから、まだ間に合うと思うがね。 近ごろは、いかなゴリゴリ差別主義の文科省も、よく保護者の意向を聞くことといっているからね。 A 何だなあ、それでマユミちゃんの学区小行きは可能と思うかい。 学区小行きは可能だ、親の意志次第 B 学区小行きは可能だ、親が意志を固めるかぎり可能だ。 A だから、意志は固めているっていっただろう。前もいったぜ。 B うん。 ただね、意志を固めるといっても漠然とした希望だけじゃ不十分だ。 事柄の法理論的・権利論的筋道を自覚して、その知的了解のうえに、具体的意志にまでアウフヘーベンされているなら、意志を固めたといっていい。 そのことで市の教委の担当者と、キチンとやりあえるようじゃなきゃあダメだぜ。 A うん、わかった。 ところで、オレちょっと聞いたんだがね、近頃は、むしろ特別支援行きを希望している親御さんもふえているっていうんだがね、 そこんとこはどうなんだい。 B そんなことを聞くな。 ボクもよくわからないが、夫婦共働きの場合なんか、特別支援学校を、いわば託児所みたいに考えている向きもあるらしい。 もっとも、事柄を真剣に考えて、うちの子はやはり特別支援行きと決断する親御さんだっているらしいよ。 筋道立ててそう判断なさる場合は、それだって「親(本来的には本人)の学校選択権」の行使といえないこともない。 それはそうなんだが、亡くなった梅根悟さんは、障害児教育の未来像といったことで、こんな風に述べていたよ。 《将来の夢としてはですね、 精神薄弱、身体上の欠陥をもっておる子ども、普通に養護学校の対象といわれているような子どもたちにつきましては、そういう子どもたちがみんな町の、村のコミュニテイの学校に、同じコミュニテイに生まれたり、現にそこに住んでいる他の子どもたちといっしょに仲よく手をつないで入学して生活を共にするといったようなことが夢ですね。 同じコミュニテイの仲間にはいれない子どもはまったくいないというふうになることが、一つの未来像ではなかろうかと、私は考えているんです。》 これ梅根先生が、1977年9月17日の実現する会主催のシンポジウムで語ったところだよ。 いや、ごめんごめん、話が少しズレたかも知れない。 A いや、そんなことないよ。 ありゃ、もう午前3時だぜ。キミの勉強時間を大分削いじゃったようだな。 B いいよ、いいよ、こういうことなら、ボクも頭の再整理になったよ。 じゃ、この辺で。 A それじゃ失敬。 B じゃあね。 2011・11・25 PQR 掲載誌 「月刊・人権と教育」452号 2011年11月20日発刊 -------------------------------------- 月刊 『人権と教育』 452号 目次 ・いつ、どう要求していったらいいか -- 属・親(本来的には本人)の学校選択権について 津田道夫 ・高齢者施設レポート26 -- 「ないがしろにしていていいのか」 -- われわれ利用者を2時間もほったらかして何が会議か 佐藤与志子 ・同じクラスの戸外締めを見逃さない -- 広汎性発達障害の息子は5年生 吉田佳代子 ・インクルーシブ教育とほど遠い那覇市の現状 --沖縄県内の支援員は市の現状を調査して 金城照美 ・自然を観る・73 -- 地は動き続ける・6 平林 浩 ・冤罪追跡レポート -- 財田川事件 裁判官の事実調べによって開かれた再審の扉 竹澤節子 ・声、こえ、コエ ・自治体漂流 -- 原発自治体消滅 その6 移民の末裔 布施哲也 ・被災地、そしてオキナワ -- 見たこと、感じたこと、したいこと 幸地 一 ・学校現場からのレポート -- 教育成果の有無は保護者と教師の信頼関係から 遠藤行博 ・いまも継続する「原発震災」6 -- 福島、宮城の子どもたちの疎開を訴えます --政府、東電は年間被曝量1ミリシーベルトを守るべき 川根眞也 ・権利としてのインクルージョン40年 -- 1971年結成、障害者の教育権を実現する会40周年 ・編集後記 ------------------------------------- # by tomoni_kk | 2011-12-05 20:21
くりかえし、
親(本来的には本人)の学校選択権について ―― 権利行使の仕方は選びとれるのだ A もしもしAだけど、しばらくだね。 B やあ、何だいきょうは。 A ちょっと相談があるんだ。いま時間あるかい。 B ああ、昼飯が終わったところだから、いいよ。 A 実はね、僕の近くに障害児の母親がいてね。 その子が来年4月に学齢に達するんで、相談されているんだ。 つまり、いまは特別支援学校と言っているのかな、前の養護学校だね。 つまり、そこじゃなくて学区小に入れたいというんだ。 その子は、発語も不十分、食事や排泄の介助も必要とするような知的障害児なんだが、親としては、学区の普通学校、それも普通学級だな、ここに就学させたいと言っているんだがね。 市教委の就学相談では養護学校行きをすすめられたんだそうだ。 何とか学区の普通学級で近所の子どもといっしょに生活を送らせ、可能な勉強もさせてやりたいってんだよ。 君は、いつだったか、学校は親が選ぶんだといっていたね。 その点、市教委の結論と親の希望が対立してきている、そこでどうしたらいいかと思ってね。 B そういうことか。教委の教育相談といっても、それは就学指導委員会にそういわれたということだろう。 はっきり言っとくが、教育相談をうけるなんて、子どもにとっても親にとっても義務的ではないんだぜ。 就学指導委員会なんて教委の諮問機関にすぎないんだからね。 A じゃあ、どう考えたらいい? 教育を受ける権利 B もっとも根本は憲法26条だろう。 A そう、「教育を受ける権利」条項ね。 B つまり学齢になったら、どの子も公立校に就学する権利があるということだ。 A でも26条には「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあるぜ。 「能力に応じて」をどう解釈するんだい。 B そこだよ。同年齢の子どもを能力別に分けて就学させるんだと、これを解釈したら、 それこそ妙なことになる。 これは学齢にある期間、年齢に即してその権利があると読めるだろう。 いくら天才だって4歳や5歳で就学するなんてできない。 あるいは3年から5年に飛び級することもできない。 ここは「ひとしく」ということが大切じゃないかな。 たとえばね、1997年に茨城県の茎崎町(現つくば市)というところで、車イス使用と重度の知的障害がある菊地翔子さんという女の子の学区校就学問題が起こったけど、その時御両親名で町教育委員会の教育長あてに提出した要望書のなかに、こんな一節があって僕は感動したことがあるよ。 持ってくるから、ちょっと待っててくれるか。 A ああ、いいよ。 B じゃ読むぜ。 「翔子が、授業の内容を理解することはできないことも解っています。だからといっていっしょにいることが意味がないとは思いません。翔子なりの学び方があると考えます。掛け算は理解することはできなくとも、クラスの友達が掛け算を暗算する声を聞くことはできます。先生のこえにたいする子どもたちの反応をまじかに感じることも、翔子にとっては学習です。子どもたちのざわめきや歌声のする場にいること、『翔子ちゃん』と語りかけてくれるいろいろな声を感じて聞き分けていくこと、たくさんの友だちから顔をみつめてもらうこと、手を握ってもらうこと、自分に対してさまざまな反応を示すことを体全体で感じること、それらすべてが翔子にとっては学習です」。 こういっているんだ。 A ああ、そんなことがあったな。 月刊『人権と教育』で読んだよ。 それで茎崎町教委も翔子さんについて学区校に就学措置をせざるをえなかったんだったな。 あのときはかなり大きな運動になったんだったろう。 B まあ、な。 しかし、そういう個々の問題より、大切なのは「教育を受ける権利」といわれる権利ということを、根本的にどう考えるかだろう。 A そこだな。 B つまりね、権利と義務とあって、これは近代社会において、ワンセットの規範―どういったらいいかな、各人がこの社会生活を送るうえでワンセットになった約束ごと、そういうものとしてある訳だ。 A それで・・・。 B まず義務についていえば、君が年金もらってノンビリ釣りでもしてるとしても・・・。 A 冗談いうな、オレは年金もらってるったって、税金その他いろいろ差し引かれて大変なんだ。 B そうだ、そこだよ、買い物をすれば消費税をとられるだろう。 つまりね、義務というのは、その義務履行が義務的に果たされてしまうような、そういう規範なんだ。 これに対して権利というのは、その権利を行使するかどうか、どんな風に行使するかが権利主体の側の選択にかかっているんだ。 つまり権利行使は選択的であるということだ。 梅根悟さんがよく例にだしていたことでいえば、憲法24条に婚姻の自由に関する権利規定があるだろう。 あれにしたって、結婚するかどうか、あるいは誰と結婚するかなんて、役所で指導されるわけじゃないよな。 あるいは、結婚相談制度なんてのが役所にあって、そこの相談をうけなければ結婚できないなんて絶対ありえないだろう。 A うん、君のオハコはいいから、問題は障害児が、特別支援学校でなく地域の公立校に就学できるかどうかなんだよ。 B できるさ。 憲法論・法律論的にはね。 つまり、特別支援学校に行くか、学区の地域校に行くかは、それこそ本人の選択にかかっているんだ。 これは案外忘れられている、否、気づかれずにいる嫌いがあるけど、うんと大事なところだ。 ここから、われわれ実現する会では「親(本来的には本人)の学校選択権」という考えを打ちだして、それを思想上・運動上の武器として、障害児個々人の就学運動をすすめている訳だ。 そこを、その子のお母さんには徹底的に学習してもらうんだね。 つまり地域校に就学させようという意志をかためたら、そうした権利論上の裏づけが不可欠になる。 つまり、そうした権利論的なバックアップがあって、そのお母さんの意志は、はじめて現実的な意志となりうるだろう。 A しかし、9年間の「義務教育」といわれるぜ。 B 話を先にもって行かないで、これまでのところは了解したかい。 君が、だよ。 A だいたいわかった。 でも、どうして「親(本来的には本人)の学校選択権」なんて、いくらかややこしいいいかたになるんだい。 B それはだね、就学権、学習権は子ども本人にあるに決まってる。 しかし、君、明年学齢に達する障害児にとって自分がどこにいったらいいか、その判断は無理だろう。 そこで保護者たる親が、子どもの権利行使代行者として、教委と交渉していかねばならないことになる。 だからわれわれの学校選択権思想は、「親(本来的には本人)の学校選択権」という標語にまとめあげられているんだ。 ついでに言っておくと、交渉相手は地方公共団体の教育長だからね。 もちろん、教育長権限を代行する役人と話し合うこともあるよ。 しかしこの場合も、“あなたを教育長権限を代行する方と認めて話し合いますが、それでいいですね”という確認をとってから交渉に及ばないとダメだぜ。 A だいたいわかった。 オレも勉強するからこれからもよろしく。 義務教育の義務って B おいおい、かんたんにわかるなよ。 君がさっきいった「義務教育」って何だ、もっといえば義務教育の義務って、誰のだれに対する義務かっていう問題が残っているよ。 A 戦前・戦中は兵役・納税の義務とならんで教育をうけることが国民の義務とされ、三大義務といわれてたな。 B うんそうだ。 そのくらいは知ってるんだな。 A バカにするな。 だから、いまの憲法でいう義務っていったい何だということだよ B そう、義務教育の義務というのは、学齢にある子どもが、教育を受ける権利を行使するにさいして、それを保障するために義務を負う人間なり機関(オルガン)なりがあるということだ。 A わかった。憲法26条の2項に、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とある、あれだな。 つまり保護者が子どもの就学する権利を保障する義務があるということだろう。 B うん、いろいろ解釈があるが、あそこは、保護者が子どもに対して負う義務ととらえるのが妥当のようだ。 そこから、例の親が子どもの権利代行者でもあるというということにもなるんだな。 A でも学校設置義務ってあるだろう。 B そう、26条の「義務教育はこれを無償とする」というところにかかわってくる。 つまり、憲法を法源とする学校教育法の第29条には、「市町村は、その区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置しなければならない」とあるよ。 A 中学校は、どうなんだ。 B 同じく学校教育法の40条に、右の規定は「中学校に、これを準用する」とあるな。 A わかった。 義務教育の義務ってのは、学齢にある子どもを、①就学させる義務と、②地方公共団体が学校を設置する義務の二本立てからなっているんだな。 B そうだ。 そう考えていいと思う。 いや、憲法・法律的にはそう考えるべきだよ。 学校設置義務の考え方 A そうすると何だな。 オレが相談をうけたお母さんの場合、お子さんが重度の知的障害児だろう。 どうしたって学校生活をつつがなく送るためには、介助員なり、援助員、まあ言葉は何だっていいや、つまりそういう職員を配置させる必要があるだろう。 それは公的に保障されるのかね。 B そこだな、学校設置義務といったって校舎を建てて机や椅子を設置すれば、それでいいということにはならないだろう。 必要な教職員が準備されなければならない。 つまり、ハコモノと人的資源が用意されなければならない。 こんなことは当たり前の話さ。 そして、そこに重度の知的障害児が就学して行けば、当然、食事・排泄などの介助が不可欠となる。 これを教委に要求して行くのは、当然の権利でもある。 現に介助員を公的に保障させている例もある。 君、月刊『人権と教育』をよく読んでくれよ。 A わかった。 それはそうしよう。 でもね、教育相談で、学区小にもし入ったとしても介助はお母さんにお願いしますてなことを言われたらしい。 B だからさ、そんなことにめげるんじゃなくて、いまは学籍を獲得することが第1だろう。 さっそくにだね、そのお母さんと相談して、学区小就学についての要望書なり趣意書を出すようにしなきゃあダメだよ。 勿論、親御さん名義で教育委員会・教育長宛にだすんだぜ。 A 郵送かなあ、持って行くのかなあ。 B 相手次第だな。 相手が強硬なら内容証明郵便にするって手もあるよ。 とにかくその要望書が交渉の大前提になる。 キミものりかかった船だ。 がんばるんだな。 ところで支持者はいるのかね。 A 数人はいるね。 B それはたのもしい。 お母さんを中心によく話しあって、いやな言葉だが、よく学習して運動を展開して行って欲しいな。 ところでキミ、そのお母さんなる人に、月刊『人権と教育』の購読をすすめてくれないかね。 A お生憎様、事務局の山田さんに頼んで、もう送ってもらってるよ。 何れまた、相談にのってくれたまえ。 B ああ、いつでも。 何だったらボクがそっちに行ってもいい。(この項終り) 2011・10・5 PQR 掲載誌 「月刊・人権と教育」451号 2011年10月20日発刊 -------------------------------------- 月刊 『人権と教育』 451号 目次 ・くりかえし、親(本来的には本人)の学校選択権について -- 権利行使の仕方は選び取れるのだ 津田道夫 ・父として母として・1 -- 学校生活、悔しさも楽しさも -- 4年生の車いすの息子 新井章恵 ・インクルージョンを目指し続けて -- 車いすの娘は中学生 -- 高橋由紀子 ・高齢者施設レポート26 -- 味噌汁がうすい 佐藤与志子 ・学校現場からのレポート -- 秋の運動会 一人ひとりが輝いて 遠藤行博 ・自然を観る・72 --地は動き続ける・5 平林 浩 ・みちのく通信 --「モリヤマ」であったこと 加藤民子 ・声、こえ、コエ ・自治体漂流 -- 原発自治体消滅 その5 番外・東京 布施哲也 ・会員・読者を訪ねて --普通の親子として自然に見てほしい -- 全盲のお母さん、子育て奮闘記 殿岡栄子 ・虫めがね -- 常と変わらぬ異常 最首 悟 ・教育フォーラム保育・学童室だより -- 「健太郎先生」がやさしいぞ --大人になってもつき合っていこう 野原郭利 ・福島からのレポート -- 終わらない震災を子どもたちとともに 藤田誠也 ・沖縄「密約」開示請求訴訟に不当判決 -- 私たちの「知る権利」はどこに 宮永 潔 ・権利としてのインクルージョン40年 -- 1971年結成、障害者の教育権を実現する会40周年 --------------------------------------
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